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朝霧高原の苦労の歴史

 今日では、酪農はもとより、キャンプ・アウトドアの聖地として、富士山麓の「朝霧高原」は全国的に有名になっています。

 朝霧JAMやゴーアウトなどの野外フェスも人気で、朝霧のオートキャンプ場や、ふもとっぱらなどには人が溢れます。

そんな人気の朝霧高原も過去は苦労の連続の地域でした。レジャー以前に住むことすらままならない、広大な荒れ放題の火山灰土、常に霧雨に覆われる標高800~900mの地帯。

 ここに入植したのは第二次世界大戦後、日本に引き上げてきた長野県下伊那郡の130名余の人々と、地元の人々とその家族数百名。畑作や土木工事等に着手しましたが、あまりの過酷さに脱落する人もありました。

朝霧高原開拓の様子

目で見る富士宮・緑星社 より引用

 昭和30年に 国の方針転換によりオーストラリア産のジャージー種乳牛が導入され、畑作から酪農にシフトしました。こうしてようやく朝霧で安定した生活基盤が出来てきたのです。

 近年では酪農家直営で乳製品の製造販売する「観光業へのシフト」へと転換する事業者も増えています。また地産地消で市内の学校給食の牛乳は、全て市内の酪農家さんの牛乳になりました。

都会にはない、富士山麓の最高の自然環境を発信することで活路が開がっています。

今日の朝霧高原の礎になった開拓団の不断の努力があった歴史に目を向け、心から敬意を払いたいたいものです。

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