富士宮の歴史・諸説– category –
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富士宮の歴史・諸説
富士宮と水害・潤井川と八幡橋
どんな地域でも「水」が無いと生きていけませんが、水も多すぎると水害となってしまうわけで、富士川水系の「潤井川(うるいがわ)」でも随所で問題が発生していました。 大中里地区(JR西富士宮駅の西)の八幡橋でも、潤井川が湾曲しており増水のたび... -
富士宮の歴史・諸説
朝霧高原の苦労の歴史
今日では、酪農はもとより、キャンプ・アウトドアの聖地として、富士山麓の「朝霧高原」は全国的に有名になっています。 朝霧JAMやゴーアウトなどの野外フェスも人気で、朝霧のオートキャンプ場や、ふもとっぱらなどには人が溢れます。 そんな人気の朝... -
富士宮の歴史・諸説
富士宮で起きた大火事「大宮町大火」について
昭和7(1932)年4月21日20時50分、富士宮(当時の自治体名は富士郡大宮町)で、富士山本宮浅間大社の東側を流れる神田川以東のエリア、栄町付近で出火し、本町・神田町から大宮町駅(現在の富士宮駅)あたりまで、など15町を巻き込んだ 未曾有の大火事が発... -
富士宮の歴史・諸説
姉妹で同じ男に嫁いだコノハナサクヤヒメとイワナガヒメ
富士山・富士山本宮浅間大社にまつられている神様といえば「コノハナサクヤヒメ(ヒメ)」。 表記はいろいろあるが、日本書紀では木花開耶姫と書くらしく、大山祇神(オオヤマツミ)の娘です。オオヤマツミは、浅間大社北西にある富地神社の祭神です。 天... -
富士宮の歴史・諸説
因縁?あなたの知らない織田信長と富士宮の繋がり
富士山や富士宮と織田信長の繋がり、と聞いて、ピンとこない人も多いかもしれませんが、実は、因縁めいた事柄含め、多くのゆかりがあります。 ■富士宮と甲州征伐の成功 1582年2月から3月にかけて、織田信長は甲州征伐(現在の山梨県)に向かい、長年のライ... -
富士宮の歴史・諸説
鎌倉時代。最終的に勝ったのは平氏なのか?
タイトルの理由は最後に。 富士宮の上野地区では、「南条の里」というむらづくり活動が広がっています。 活動の詳細はこちら。 なぜに南条かというと、鎌倉時代に、この地区の武将・地頭であった「南条時光(なんじょうときみつ)正元元年(1259年)-元弘2... -
富士宮の歴史・諸説
富士宮市の名称の起源は富士山本宮浅間大社
富士山本宮浅間大社の概要・トリビア 富士山の大噴火によって荒廃していた皇紀630年前後(=紀元前30 年前後)の日本。11代目天皇、垂仁天皇がこれを憂いた、山麓で祭祀を行ったことが起源と言われ、コノハナサクヤヒメ(木之花咲耶姫)が祭られている。(...
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