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望月軍四郎

富士郡大宮町(富士宮市)出身の実業家で、富士宮北高等学校の前身となる大宮商業学校・大宮工業学校を設立した事で知られます。

望月軍四郎氏の経歴

望月 軍四郎(もちづき ぐんしろう)氏は、1879年(明治12年)8月15日、静岡県富士郡大宮町(現在の富士宮市)の農家、望月廣七氏の三男として生まれました。(大宮町長を務めた望月謹八氏の実弟でもあります。)

望月軍四郎氏

1893年、14歳の時に上京して村上太三郎商店に住み込み奉公し、株式取引などを学びました。勤勉に働き、実力をつけていった軍四郎氏ですが、ある時慢心して自分で責任を負えない規模の相場取引で失敗してしまい、一旦は解雇になってしまう苦い経験もありました。その後、許されて復帰し、メキメキと頭角を表し、過去の失敗の損害分もすべて稼ぎ出しました。

17年の修業を経た1910年(明治43年)12月にはついに独立を果たします。以来、実業家として才覚を発揮し、日清生命保険社長、京浜電気鉄道会長など、数々の企業の経営に携わり活躍します。

また、特に教育関係の活動には力を注いでおり、事業や投資で得られた資金を元に、慶應義塾大学や早稲田大学等、多くの教育機関に寄付や研究所の設立の資金を投入するなど情熱を注いでいました。

さらに、軍四郎氏は、生涯故郷のことを忘れませんでした。故郷の静岡の地に、今後の日本の未来を担う人材を育成する教育環境や文化の発展整備のために、様々な寄付や投資活動を行います。

代表的な富士宮・富士地域・静岡県内での活動実績

  • 1921年:富士中(現在の富士高)の創立費に寄付
  • 1922年:大宮小学校の講堂の建設資金を寄付
  • 1922年:静岡高等学校(現:静岡大学)の創設の為に寄付
  • 1922年:貴船小学校の用地代の一部や図書・物品等を寄付
  • 1932年:浅間神社(富士山本宮浅間大社)の回廊の復興資金を寄付
  • 1936年:大宮商工会に基金を寄贈
  • 1937年:富知(福知)神社に寄付
  • 1937年:久能山東照宮の大修理に際し、徳川家からの要請もあり、不足している修理資金調達のための寄付金集め活動を実施。2/3近くが望月軍四郎氏の働きかけで集まった。
  • 1937年:静岡県富士郡大宮町に財団法人大宮育英財団を設立。現在の静岡県立富士宮北高等学校の前身となる、大宮工業学校と大宮商業学校を開校
  • 1939年:日本三椏工業を設立

さらなる活躍が期待された望月軍四郎氏ですが、1940年(昭和15年)の1月末に体調不良を訴え、不整脈や心臓肥大などの心臓疾患の疑いで1月27日に緊急入院しましたが、入院後間もない2月1日、60歳の時に心筋変性症で死去されました。突然の訃報に多くの遺族関係者が悲しみに暮れました。2月3日に東京青山斎場で行われた葬儀への会葬者が7,000人にのぼったことからも、軍四郎氏の人徳が偲ばれます。

なお、財団法人大宮育英財団は、現在は公益財団法人富士宮育英財団(本部:東京都)に改称されて嗣子に受け継がれ、現在でも、富士宮北高等学校の奨学金制度の運営や、教育関係への寄付活動に関与しています。

国や地域の発展のために「教育が重要である」と生涯に渡り活動してきた望月軍四郎氏の功績は非常に大きく、功績を讃え、富士宮文化会館の東側には銅像も建立されています。

参考文献:
 静岡県立富士宮北高等学校70周年記念誌
 評伝望月軍四郎 北村美ゆき・著